時を超えて輝く比叡山の至宝、聖衆来迎寺「国宝 十六羅漢像」を読み解く
比叡山の正倉院、聖衆来迎寺の奇跡
琵琶湖の西側に位置する聖衆来迎寺(しゅうじゅらいごうじ)に伝わる「十六羅漢像」は、今から1000年ほど前の豊かな色彩を今に伝える仏画です。
比叡山延暦寺の門前町・坂本の近くにあるこのお寺は、延暦寺と同じく最澄によって開かれたと言われています。「比叡山の正倉院」という異名があるほど、多くの国宝や重要文化財が守り伝えられてきました。
実は、戦国時代に織田信長が比叡山を焼き払い、この周辺も大きな被害を受けましたが、聖衆来迎寺は奇跡的に残りました。信長の重臣・森可成(もりよしなり)の墓所がここにあったからだと言われています。そのおかげで、私たちは「十六羅漢像」を、今も目にすることができます。
お釈迦様からバトンを託されたリーダー
「羅漢(らかん)」とは、厳しい修行をコンプリートして悟りを開いた、最高ランクの僧のことです。なかでも「十六羅漢」は、お釈迦様が亡くなった後も「世界から仏教の教えが消えないように守ってほしい」と、その想いを託された16人のリーダーたちです。
全十六幅からなるこの国宝のうち、現在、東京国立博物館に展示されている一幅は「第十尊者・半託迦(はんたか)」です。僧の名前「半託迦」は、絵の右上の長方形の部分に、住所である「三十三天(さんじゅうさんてん)」と共に記されています(註1)。
天才の兄と、努力の弟
この半託迦には、弟がいます。同じく十六羅漢のメンバーである注荼半託迦(ちゅうだはんたか)です。実はこの兄弟、性格が正反対でした。天才の兄に対し、弟は勉強がとても苦手で、兄が教えた短い詩さえ3ヶ月経っても覚えられなかったという話が残っています。
そんな弟に、お釈迦様の弟子アーナンダは、「塵(ちり)を除こう、垢(あか)を除こう」と唱えなさいと教えました。弟はそれを信じて、修行僧のサンダルを次々と掃除していきます。ある時、「本当に掃除すべきなのは、心の中の欲や怒り、迷いだったんだ!」と気づき悟りを開きます。こうして弟も、努力によって聖者となったと伝えられています(註2)。
1000年前の「漫画テクニック」?仏画の細部を見る
それでは、実際に描かれた人物や背景に注目してみましょう。
カラフルな袈裟をまとう僧: 左上に立つ僧をご覧ください。明るい萌黄色(もえぎいろ)の法衣(ほうい/ほうえ)の上に、赤や白、緑のカラフルな模様が施された豪華な袈裟(けさ)を着ています。絵に近づいて、目を凝らして背中の部分を見ると、布の縫い目が白いドットで細かく描写されており、当時の職人のこだわりが分かります。僧の少し開いた口元からは、お釈迦様を想って念仏を唱え、供養する声が聞こえてくるようです。
天界から来た神様: 仏堂の外の二人は「天部(てんぶ)」という神様たちです(註3)。雲に包まれているのは、天界に住んでいる神であることを示しています。天部は、古代のインドの神々が仏教に取り入れられました。
ピカーン!と輝く壺の「集中線」: 仏堂の右上に、お釈迦様の骨が入った小さな壺(仏舎利瓶)が置かれています。その周りをご覧ください。現代の漫画で「ピカーン!」と光る様子を表す時に使うような、放射状の線が描き込まれています。東博の学芸員の解説によりますと、この舎利容器はガラスでできているのではないかということです。壺の隣にある獅子の形の香炉も存在感があります。
絹の裏側からも着色:この作品は絹の表と裏の両方から着色された珍しい技法が使われており、穏やかな色調となっています(註4)。平安時代に貴族が煌びやかで柔和な表現を好んだのもこの仏画から読み取れます。
※東京国立博物館の本館2階2室にて2026年2月15日(日)まで展示されます。
註1 東京国立博物館ホームページ
註2 関稔「『愚かなパンタカ』伝承考-1-」北海道駒沢大学研究紀要 (通号 19) 、1984年3月
註3 東京国立博物館ホームページ 2024年7月9日(火) ~ 2024年8月4日(日)に展示された第三尊者に似たような天部が描かれている。
註4 ColBase 十六羅漢像(第十尊者)