【新着展示】東博に息づく明治のダイナミズム ― 世界が驚いた『蟹』と伝統を射抜く『武士』
東京国立博物館の本館第18展示室にて、この度、展示作品の入れ替えが行われました。 日本の近代美術の新たなダイナミズムに出会えるこの展示室ですが、今回のラインナップも非常に見応えのあるものとなっています。
数ある名品の中から、当時の社会情勢や芸術観を象徴する、特に注目すべき2作品を厳選してご紹介します。
陶器の枠を超えたリアリズム、香山が命を吹き込んだ幻の「真葛焼」

作者の初代宮川香山(1842〜1916年)は、京都の真葛ヶ原(まくずがはら)の出身です。真葛ヶ原は現在の円山公園周辺にあたり、かつては真葛(まくず)が生い茂る原野だったことからその名がついたといわれています。 代々焼き物を生業とする家に生まれた香山は、輸出向けの陶器を制作するため横浜へ移住し、明治初期に「眞葛窯(まくずがま)」を築きました(註1)。
1876年のフィラデルフィア万国博覧会に出品された眞葛焼が高く評価されると、香山はその後75歳で生涯を閉じるまで、数々の国際的な賞に輝きました。 現在、東京国立博物館の第18室に展示されている本作は、重要文化財に指定されている彼の代表作です。1881年(明治14年)の第二回内国勧業博覧会に出品されたもので、当時の日本が輸出品の育成に力を注いでいた背景の中で誕生しました(同じく註1)。
香山の名を知らずとも、あまりに精緻な蟹の造形に目を奪われ、思わずシャッターを切る来館者は後を絶ちません。歪みを持たせた壺に荒々しく施された釉薬。その上で、今にも動き出しそうな二匹のワタリガニ(blue crub)。実物のワタリガニと同じく、足先の青みや白い水玉模様まで忠実に再現されています。この装飾的で迫力あふれる作風は、当時の海外で熱狂的な人気を博しました。
早世の天才が描いた黎明期の光、薩摩の武士道と洋画の融合

本作は、鹿児島出身の曽山幸彦(1860〜1892年)が1890年に制作した油彩画《試鵠(しこく)》です。曽山は一度も海外留学の経験がありませんが、お雇い外国人として来日したイタリア人画家に師事し、本場仕込みの技法を学びました。32歳の若さで急逝したため遺された作品はわずかですが、彼の画塾からは数多くの優れた画家が輩出されています。
《試鵠》が描かれた明治20年代は、日本で西洋画が普及し始めた黎明期でした。弓を引く人物のモデルは薩摩藩の弓術家・東郷重持(とうごう しげもち)ですが、鹿児島市立美術館によると、その顔は作者である曽山自身の自画像であると伝えられています。
モデルとなった東郷重持は、薩摩藩の武士に弓術を指南した人物です。西南戦争の際、多くの貴重な資料が焼失の危機に瀕しましたが、東郷が敵の政府軍に保存を強く訴えたことで、島津家伝来の史料が守られました。これらは現在、国宝『島津家文書』として東京大学史料編纂所に所蔵されています(註2)。
背景に桜や菜の花が描かれていることから、本作は春の穏やかな日に弓術を指導する様子を捉えたものと考えられます。重持が守り抜いた弓術の伝統はその後も受け継がれ、1964年の東京オリンピックや、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)などの大きな舞台でも披露されました(註3)。
同じ鹿児島出身である東郷の足跡を、どうしても描き残しておきたい。そんな一途な思いが、曽山に筆を執らせたのでしょうか。
註1「宮川香山の眞葛焼」宮川香山眞葛ミュージアム
註2「国宝島津家文書など守った人たち」2018年10月10日、産経新聞
註3「東郷どんの小路」2021年3月、鹿児島商工会議所