【レポート】開館60周年を迎える山種美術館で出会う、川合玉堂が描いた日本の懐かしい風景
贋作との出会いが始まり――山種美術館の誕生
山種美術館は、山種証券(※1)の創立者である山﨑種二(1893〜1983)が収集した作品を鑑賞できる、日本初の日本画専門美術館です。1966年7月7日の開館当初は、日本橋兜町に新築された山種証券本社ビルの8・9階にあり、建築家・谷口吉郎氏が設計したモダンな空間に作品が展示されていました。
山﨑は経営者として成功を収める一方、戦前から妻とともに美術館を建てることを目標にしていました。当初は江戸時代の作品にも興味を持っていましたが、31歳の頃に購入した琳派の酒井抱一の作品が贋作(がんさく)だと分かり、それを機に「同時代の画家の支援と作品収集」へと舵を切ったといいます。
※1 現在は最終的にSMBC日興証券に吸収された。
開館60周年記念、川合玉堂が描く「人の営み」と「卓越した観察眼」
今回の展覧会は、開館60周年を記念し、山﨑種二と親交の深かった川合玉堂の作品にスポットを当てています。川合玉堂(1873〜1957)は、日本が近代化へと歩み始めた明治時代に生まれ、大正、戦前から戦後にかけて一線で活躍し続けた日本画家です。
担当学芸員の竹林佐恵さんは、「人の営みや様子が描かれた絵を、特にじっくりと鑑賞していただきたいです」と見どころを語られました。玉堂は「円山・四条派の写実的な基礎の上に、狩野派の品格ある様式を取り入れた画家」と公式図録等でも評されますが、今回展示された《紅白梅》(1919)を見ても分かるように、琳派の影響を感じさせる豪華絢爛な金箔を施した作品も残しています。右隻と左隻の双方に、数羽のシジュウカラが羽を休めている様子が描かれており、玉堂の卓越した観察眼が光ります。
どの作品に注目すべきか?
今から10年前、開館50周年記念の折に刊行された『山種美術館近代日本画名品選100』をめくると、川合玉堂の作品は4点選ばれていました。館長や学芸員が頭を悩ませて厳選したこの4つは、玉堂の生涯における屈指の名品と言えます。
- 《鵜飼》(1895): 20代の若き日に描いた作品。岐阜市で幼少期を過ごした玉堂にとって、鵜飼は生涯にわたり繰り返し描く大切なモチーフとなりました。
- 《春風春水》(1940): 玉堂が好んだ「渡し船」が登場。ワイヤーと滑車を用いて川を渡る船の様子が、鑑賞者の興味を惹きつけます。
- 《山雨一過》(1943): 雨が上がったあとの、長閑な山の風景。山林と岩山の間をゆったりと歩く馬と人が描かれています。葉が黄色く色づき始めている様子から、初秋の情景でしょうか。
- 《早乙女》(1945): 本展のチラシにも採用され、会場の最も目立つ場所に展示されているハイライト作品です。描かれた1945年の田植えの時期は、まさに終戦の直前。当時、東京の御岳(現・青梅市)に疎開していた玉堂は、戦争の惨禍から離れ、日本の原風景である美しい田園と、そこに生きる人々を穏やかに描き出しました。
その他のみどころ
ほかにも、岩山に力強く咲く《石楠花(しゃくなげ)》(1930)や、戦時中に出征兵士の無事帰還を祈って贈ったとされる《虎》など、見応えのある作品が並びます。明治から昭和にかけて、国が近代化し、戦争へと巻き込まれていく激動の時代の中で、一人の画家がどのような眼差しで自然や人間を見つめ、作品を残したのか。当時の情勢に思いを馳せながら、じっくりと堪能したい展覧会です。
参考資料:
山種美術館学芸部『川合玉堂 なつかしい日本の情景』2026年
山種美術館学芸部『開館50周年記念 山種美術館 近代日本画名品選100』